能仁寺イメージ

トップページ > 能仁寺縁起

能仁寺縁起

能仁寺小史

能仁寺イメージ

・室町中期文亀元年 (1501年)、飯能の武将中山家勝が名僧斧屋文達師を招いて小庵を結んだのが始まりとされており、家勝の子・家範が父の冥福を祈るために寺院を創建した。

・家範の子・照守は徳川家康に引き立てられ、徳川家康の庇護のもと多くの雲水をかかえる寺院に発展した。

・中山家範没後百年ほど経って、老朽化してきた寺堂を再建したのは黒田直邦である。徳川綱吉の館林時代の家老職にあった直邦は、十三世住職泰州廣基と供に、将軍家の後ろ盾により、宝永二年に山門、大殿、庫裡と改修を行い、伽藍を完成させた。また、今も本堂正面に修飾されている。

・武陽山、能仁寺の扁額は将軍の命により、元禄十年 (1697年) 天台座主公辨一品親王が筆をとったものである。

・明治維新時の飯能を舞台とする 「飯能戦争」 では、幕臣の一部で結成された彰義隊の頭取であった渋沢誠一郎は内部対立のため振武軍を結成し、能仁寺を本陣とした。慶応四年 (1868年) に官軍の一方的な攻撃により敗走、多くの民家や、本陣であった能仁寺も焼失し、本堂は昭和十一年に再建された。その後五十一年より復興を続け、現在では、山門、位牌堂、大書院、鐘楼、大庫院が完成しております。

能仁寺小史

  • ご本尊、毘廬舎那仏
  • 文化財・寺宝、出山の釈迦立像
  • 文化財・寺宝、伽藍観音像(将軍綱吉の生母桂昌院の寄進)
y[W?gbv